アーヴィング・バーリン ― IRVING BERLIN ― [ 音楽 ]

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アーヴィング・バーリン(1888-1989) は かつてこんなことを言いました。「愛国心ある曲は感情的だ。聴衆を戸惑わせてはいけない。彼らは貴方の根性を嫌うだろう。」この哲学とは裏腹に 第一次世界対戦から第二次世界大戦へかけて、バーリンは 愛国心溢れる曲をかく最も優れたアメリカの作曲家へと成長していった。

1888年5月11日、ロシアの東部、ISRAEL BALINEとして生まれた彼は、8人兄弟の1人で、1893年ポグロムを逃れるために家族全員でニューヨークへと渡った。これもそれもユダヤ人の悲劇、父親の死後、8歳にして彼は、家族を養うために働き始めた。

まずは歌うボーイとしてレストランで働き、曲を自分で書いた。第一次世界大戦では、数々のヒット曲を世に出し、1938年には アメリカの国歌よりも人気を得たという愛国心溢れる「GOD BLESS AMERICA」をかき好評を博した。

第二次世界大戦でも赤十字やら国歌のために愛国心溢れる曲を書き続け、息もつかずに900曲ものソング、19本のミュージカル、18本の映画音楽譜を仕上げた。中でも「WHITE CHRISTMAS」は 世界で一番ヒットした、そしてヒットし続けている永遠の名曲で、この記録を破るものは未だこの世に存在しない。

彼は自分の曲の権利を売り、数々の団体に寄付をして表彰された。100歳のお誕生日に MORTON GOULDが 彼についてこう語ったのが特に印象的だ。「Irving Berlin's music will last not for just an hour, not for just a day, not for just a year, but always.」 正に歌の歌詞「ALWAYS」そのものだ。

2年間しか学校教育を受けれなかった貧しい移民にしては上出来だと人々は言う。彼が、楽譜を読むことも書くこともできなかったという事実には驚かされるばかりだが、全曲「F#」で作ったというのが何しろすごい!!!彼の命日は 9月22日、1989年に101歳の生涯を閉じた。

人種差別で殺されるかもしれないという危機を逃れてきた青年が、人種のるつぼ、アメリカを大衆音楽で統一させることになるとは、彼の101年の人生そのものが、歴史を物語っている気がする。


裕美・ルミィヤンツェヴァ
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