W.C.HANDY [ 音楽 ]

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あの有名な作曲家、
W.C.HANDY初のブルースとして出版された
「メンフィス・ブルース」は、
元々「MR.CRUMP」というタイトルで、
CRUMP氏が市長選運動をしていたときに
HANDYが書いたものでした。

しかしながら、この応援歌の効果があり、
CRUMP氏は市長になった後、
出世してテネシー政界のボスにまでなってしまいましたので、
曲名としてこの名前が使用できなりました。

そして、改名した名が「メンフィス・ブルース」。
新たなる歌詞を得て、
TIN PAN ALLEY初登場のブルースとして、
大成功を収め、ブルースの商業価値を思い知らせました。

そして翌年、自分よりも不幸な女性に出会ったことをきっかけに
彼はあの大ヒット作、「ST.LOUIS BLUES」を世に出しました。

彼の友人達は二十歳の頃、皆具体的な夢を持っていた。
お医者さん、弁護士、学校の先生や商人になる夢・・・。
でもHANDYは ただただミュージシャンになりたいと思っていた。

結局、父親の反対を押し切って音楽を職業にしたが、
案の定、食いっぱぐれてばかりのどん底人生。

空きっ腹に一文無し、寝床が見つからず
丸石の上で寝たことがあるならわかるだろう。
それから21年後に 何故彼が
「ST.LOUIS BLUES」でこう綴ったのか・・・。

“ I  HATE TO SEE THE  EVENIN' SUN GO DOWN. ”

ブルースに秘める心の叫びがたまらない!!!
これからも100年前の悲しみ喜びを皆さんにお届けし続けます。



裕美・ルミィヤンツェヴァ
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